GATT/WTO体制と農業
 1920年代末から30年代初頭の世界大恐慌の際に、各国は、自国市場を自国産品のために確保することを通じて不況から脱出することを企図し、高関税や輸入制限等の保護主義的な貿易制限措置をとりました。この措置が、諸外国の報復的・競争的な貿易制限措置を招いて不況を長期化させたばかりでなく、各国の経済ナショナリズムの台頭、経済のブロック化の進行を招き、遂に第二次世界大戦につながったといわれています。こうした背景から、1948年1月1日に、「関税及び貿易に関する一般協定(General Agreement on Tariffs and Trade;「GATT」、ガット)」が発足しました。GATT は、関税その他の貿易障害を軽減すると共に、貿易上の差別待遇を撤廃し、この貿易自由化を通じて、生活水準の向上・完全雇用の実現・持続的な経済成長等の実現を目指す多国間協定であり、その基本原則として、@最恵国待遇(全ての国に同等の貿易条件を付与すること)、A内国民待遇(輸入品を国産品と同様に扱うこと)、B数量制限禁止、C関税引き下げ、の4つを掲げています。この基本原則に基づいて、GATTは締約国による多国間交渉(ラウンド)で関税を可能な限り引き下げ、その成果を全ての締約国に無差別に適用する方式で、貿易自由化を進めていきました。1947年の第1回ラウンドから、1986−94年のウルグアイ・ラウンドまで8回のラウンドが行われました。
  ウルグアイ・ラウンドが始まる前までは、農業は別扱いとされていました。なぜならば、農業は気候風土の強い影響を受け、それぞれの国で異なった条件に適応しながら営まれるものだけに、工業製品と同様には扱えず、政治的にも各種の配慮が必要なものだったからです。

 1986年に開始されたウルグアイ・ラウンドの目的の一つは、協定上明確な設置根拠を有する貿易に関する国際機関を設置し、これを通じてGATT体制の機能強化を図ることにありました。交渉の結果、1994年にWTO協定が成立します。この協定には「世界貿易機関(WTO)」という国際機関を設立することが明記されています。WTOは、正式の国際機関であり、その規制力は、GATT体制に比べて格段に強化されました。例えば、貿易紛争の処理手続きに関して、紛争当事国も含めて全会一致で反対しない限り、決定・採択されるというネガティブ・コンセンサス方式が導入されています。

 第8回目のウルグアイ・ラウンドでは、アメリカとケアンズ・グループ諸国(輸出補助金を使用していない農産物輸出国で、1986年5月にオーストラリアのケアンズに集まったことから、その名がついています。オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、アルゼンチン、ブラジル、ウルグアイ、チリ、コロンビア、タイ、フィリピン、マレーシア、インドネシア、ハンガリーで構成されていました)が、「農業についての合意がなければ、多分野についての合意もない」と主張し、農業交渉がクローズアップされることとなりました。これらの国では、1980年代の農産物の過剰生産に起因する国際農産物市場における深刻な悩みから、堅いガードで固められたEUや日本の市場をこじ開ける必要に迫られていました。もちろん、EUも日本も激しく抵抗しましたが、7年7か月もの延長に延長を重ねた交渉の結果、1994年4月に、以下の3つの農業合意がなされました。

@すべての非関税障壁を関税に置き換え、将来その関税率を低減していく。
A市場原理を歪ませ、生産刺激となるような価格政策を削減する。
B価格にリンクしない直接支払いのような財政負担型政策は認める。

 3つの中で、当面、最も重要なのは「すべての非関税障壁(関税以外の手法で自由な貿易を妨げる手法で、数量制限、輸入手続きや税制の不公平、政府調達の国産優先、安全基準の決め方や運用の不公平、不合理な国内産業保護策などが含まれます)を関税化する」という上記@の第1項目で、実際の交渉では高率関税を容認するという妥協をしながらも、農産物も他の工業製品と同じように内外無差別で自由化するという「原則」で合意しました。

 ウルグアイ・ラウンド交渉で、日本にとって最も関心があったのは、米の関税化でした。抵抗に抵抗を重ねて、一旦はミニマム・アクセス米を大量に認めることを代償に関税化を回避しました。しかし、実際に運用してみると、関税化を受け入れた方が有利だということになり、1999年から従価税(課税物件の価格を課税標準とする租税)に換算して実質490%にもなる枠外税率[1999年は1kg351円17銭、翌年以降は同341円の従量税(課税物件の数量を課税標準とする租税)〕で関税化に踏み切りました。

 2001年11月にカタールの首都ドーハで開始が決定されたドーハ・ラウンドで、なんらかの結論が出るまでは、上記の高い関税で日本の米は守られるのですが、中・長期的には、関税切り下げを余儀なくされることは目に見えているとみられています。そして、その後農業政策は、上記Aの第2の項目の制約を受けることになるとみられています。「内外無差別を原則とする農産物貿易を実現するためには、各国が行っている国内向けの農業政策まで「枠」をはめておかねばうまくいかない」というのです。つまり、「農業の世界にも市場原理を働かせておかなければ、農産物の過剰生産は抑制できず、深刻な貿易摩擦のタネを残すことになる。そのためには、生産刺激的な価格支持政策を認めるわけにはいかない」というわけなのです。
 1990年代初頭に芽生えた「消費者負担から納税者負担の農業保護」、「価格支持から直接支払いへ」という流れが、ウルグアイ・ラウンドの農業合意によって、国際信義上「各国が守らねばならない規律」になったとみられています。