ワンヘルス・土の健康・保全農業 |
パンデミックな人畜共通病の怖さを広く認識させるきっかけとなったリチャード・プレストンのベストセラー『ホット・ゾーン』でエボラ出血熱が取り上げられて以来、西ナイル熱、SARS、BSE(狂牛病)、サル痘、鳥インフルエンザなど、世界各地で次々と人畜共通病が話題になるようになりました。世界的な人や物の移動が活発化する中、グローバル化した世界における健康に対する脅威に対して、学際的・横断的な連携で対処することに対する認識が高まり、2004年「One
World, One Health」をテーマにした国際的な会議が開催されました。この「ワンヘルス」という考えについてFAO(国連食糧農業機関)は、“この基本的な関係を認識し、複数の分野の専門家が協力して動物、ヒト、植物、環境に対する健康上の脅威に取り組むことを確実にする統合的なやり方”と定義しています。ここで大切なことは、ワンヘルスの概念は、ヒトの健康と幸福が土壌、植物、動物などの他の生態系構成要素の健康と分かちがたく結びついていることを強調しているというところです。 こうしたワンヘルスの概念が世界の共通認識となる半世紀以上前の1940年に、有機農業の開拓者のひとりアルバート・ハワードが著した『農業聖典』の中に、「病気とは不完全な生命の指標であり、肥沃な土が植物・動物・人間に対して健康の基盤であることが明らかにされた。彼の3ヵ所の異なった地域にある農場の役牛が、隣接する農場で大発生した口蹄疫、乳房炎、敗血症に20年以上かからず、フェンス越しに鼻を擦り合わせても病気にならなかったのは、肥沃な土で育てられた草を食べていたからだ」という記述があります。このような自身の経験を通して、「土の健康」の重要性に確信をもったハワードは、1947年『The Soil and Health』(邦訳『ハワードの有機農業(上)(下)』、農文協)で、次のように書いています。「すべての生物は、生まれながらにして健康である。この法則は土壌、植物、動物、人間に当てはまる。これら4つの健康は、一つの鎖の環で結ばれている。この鎖の最初の部分の環(土壌)の弱点または欠陥は、環を次々と伝わって最後の環、すなわち人間にまで到達する。近代農業の破滅の原因である広範に広がる植物や動物の害虫や病気は、この環の第二環(植物)および第三環(動物)の健康の大きな欠陥を示す証拠である。近代文明国の人間(第四環)の健康の低下は、第二、第三の環におけるこの欠陥の結果である。あとの三つの環の一般的な欠陥は、第一の環である土壌の欠陥に原因があり、土壌の栄養不良な状態がすべての根源である」。こうした考えは「観察と生態的な発想に基づいて自然の循環にしたがって健康な土壌を維持する」という“有機農業”の考えに通底しているといえます。 一方、過去40年間で、世界の耕作地の3分の1、約4億3000万ヘクタールが失われた、という事実を受けてFAOは、劣化した土地を再生しながら、このような損失を防ぐことができる「保全農業」の推進を積極的に進めています。大規模な土壌の劣化の例としては、1931年から1939年にかけてアメリカ中西部の大平原地帯で、断続的に発生したダストボール(砂嵐)が有名です。アメリカ中西部、いわゆるグレートプレーンズに入植した白人農民が、大草原を鋤き込み、地表を露出させ、作物を植えた結果、地表は直射日光にさらされ、乾燥して土埃となり、スタインベックが『怒りの葡萄』を書いたような悲惨な状態を招いたのでした(この時の経験から、合衆国政府が設立したのが、土壌保護局、のちの自然資源保護局(NRCS)です)。FAOが、世界の農業を支える小規模・家族農業にとって最適である、として普及を図っている保全農業とは、地域の状況とニーズを反映するように調整された次の3つの主要原則=土壌管理を同時に行う農法です。@最小限の機械的土壌撹乱:農地をほとんど耕さないか(不耕起)、部分的に筋状に耕したり浅く耕したりする(省耕起)、A恒久的な土壌有機被覆:カバークロップや敷き藁で地面が30%以上裸にならないようにする、B種の多様化:3種類以上の異なる作物種を次々栽培する(輪作)か、異なる作物を同時に栽培する(混作)。 保全農業で保全するのは、土壌であり、土壌の生き物です。土壌に生息する生物種の数は、25%超を占めるとされてきましたが、最近のスイスの研究者の報告では、59%を占める可能性が高いということです。ミミズや微生物をはじめとする土壌生物が果たしている、有機物の分解、土壌構造(団粒)の維持、栄養素の循環、植物に有害な生物の抑制などの機能をはじめとする土壌の生態系サービスを維持することが、土壌の健全性に注目する「保全農業」の目的といえます。土壌の健全性にはさまざまな定義がありますが、活きた生態系としての土壌、土壌の多機能性、継続的な能力への着目、という点では共通しているようです。NRCSは土壌の健全性を「植物、動物、人間を支える、活力ある生きた生態系として機能する土壌の継続的な能力」と定義しています。 |