“有機農業”とは
 Organicという言葉は、オックスフォード大学の農学者ノースボーンが、著書『Look to the Land』(1940年出版)の中で、“有機体としての農場”(the farm as organism)という考えを表し、「土壌とそこに生息する微生物、そしてそこで育つ植物が有機的な全体(organic whole)を形成する」という見解を表明したことにはじまるとされています。
 同じ頃、イギリスの植物病理学者、農学者のアルバート・ハワードは、インドール農業研究所(インド)所長として研究を行った経験をもとに『An Agricultural Testament(邦訳:農業聖典)』(1940)、『The Soil and Health(邦訳:ハワードの有機農業)』(1947)を出版し、“肥沃な土壌こそが、健かな農作物、健康な家畜そして最後だが重要な健康な人間の土台である”と主張するとともに、自然循環の大法則に忠実にしたがうことを強く主張しました。
 アメリカでは、ハワードの著書に感銘を受けたJ.I.ロデイルが、自ら有機農法を実践するとともに、ロデイル出版社を創業し、農民向け、消費者向けに宣伝を開始します。その一つに、『Pay Dirt(邦訳:有機農法−自然循環とよみがえる生命−)』(1947)の出版があります。この本を翻訳した一楽照雄は、農協中央会常務理事を経て協同組合経営研究所理事長をする傍ら、1971年に有機農業研究会を設立し幹事に就任しています。これが、日本において「有機」という言葉が使われたはじめとされています。
 有機農業の考えについて一楽は、“有機農業においては、自然の循環が基本であり、その法則に沿って自然の運行を人間が手助けするにすぎない”“有機農業の技術は、厳密に自然を観測することによって開発される”“肥沃な土にきわめて多くの微生物や昆虫が生息し、健全な作物の生育が病害虫の駆除に役立つなど、生態的な発想を第一義的に重要視する農法です”と書いています。
 「Organic」の訳として「有機」でいいのかと迷った一楽は、黒澤酉蔵に意見を求めたそうです(黒澤酉蔵は、足尾銅山汚染で天皇に直訴した田中正造の弟子で、足尾銅山事件で捕らえられ(後に無罪確定)た時にクリスチャンとなり、キリスト教に基づく三愛精神(愛神、愛人、愛土)とデンマーク農業を模範とする実学(健土健民)の考えで、酪連(後の雪印乳業株式会社)と、北海道酪農義塾(後の酪農学園)を作った人です)。黒澤酉蔵は、漢籍の素養のあった人なので、「いい言葉ですね」と言ったそうです。それは、「有機」という言葉には以下のような意味があるからです。「天地有機」(天、地、機(とき)有り、と読みます)、種をまくのも「機」、食べるのも「機」、収穫するのも「機」、人の子が生まれるのも「機」がある。そういう意味が「有機」という言葉だ、と教えられたそうです。つまり、自然界には大きな法則があり、全てはそれにしたがっている、ということでしょうか。
 有機農業について書いた続きで一楽は、“有機農業の本質の何たるかを知らず、単に農薬や除草剤の使用を中止するのが有機農業のやり方であるかのごとく想像する。そして、そんなやり方では収量が著しく減少するのではないか、経営的に成り立たない、有機農業の農産物は高価で高所得者だけしか入手できないのではないか、などと批判をする。こうした意見や批判は見当はずれもはなはなだしい”と述べています。
 こうして見てくると、「有機農業」とは、“観察と生態的な発想に基づいて自然の循環にしたがって健康な土壌を維持する農法”、であるといえます。無農薬・無肥料栽培、減化学(ノンケミカル)栽培、環境保全型農業、有機JAS農業などいろいろな農業・農法が進められていますが、ある意味それらは、農薬や化学肥料を使わないという“手法”から見た見方であり、「有機農業」の本来の目的である“健康な土とは何か”という議論には踏み込めていないように思われます。